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アルネ・ヤコブセンのポスター

アルネ・イミール・ヤコブセン(Arne Emil Jacobsen)
かなり前ですが弊社がデンマークaida社の代理店をした時の事、イベントでフリッツ・ハンセン社のセブンチェアを1脚お借りしました。ずっと座ってましたが座り心地が良く、特に欠点らしい欠点が無い椅子だな、と思いました。返却時にこの椅子についていろいろとお聞きして初めてアルネ・ヤコブセンについて知りました。以前から名前と建築家、デザイナーって事くらいしか知りませんでした。
その後、デンマークに出張に行った際にコペンハーゲン中央駅から徒歩圏内にラディソン・コレクション・ロイヤル・ホテルがあると知りロビーに入った事があります。このホテルはSAS(スカンジナビア航空)のホテルでした。内装のデザイン、部屋の照明や家具、ドアノブに至るまで細部にアルネ・ヤコブセンがデザインをした代表作の一つです。いつかこのホテルに泊まりたい!と思いを馳せた事がありました。
先日のブログでアートポスターについて記事を投稿させていただきました。
2026.09.14 シンプルな部屋が急増しているのに、なぜアートポスターが売れているのか?今までに無い売上を作る。
ルイジアナ美術館のアートポスターにアルネ・ヤコブセンの「ランドハウス」「テキサコのガソリンスタンド」があります。
彼は1902年にデンマークで生まれます。ユダヤ系デンマーク人の父ヨハンと母パウリーンの長男として生まれます。幼少の頃は画家を目指していたが両親の反対に合い船乗りになります。ただ船酔いがひどく断念。22歳の時にデンマーク王立芸術アカデミーに入学し勉学に励みます。
卒業した後、パウル・ホルセーの事務所に入所します。また27歳の時には友人のフレミング・ラッセンとモダニズムの形式をとった未来の家を発表。この時に発表したのがこのポスターの「ランドハウス」です。この後、彼はデンマークモダニズムの一人としてデンマーク国内において一躍注目を集めていきます。
ところが1939年第二次世界大戦勃発、翌1940年、38歳の時、デンマークはナチスドイツの占領下になります。アルネ・ヤコブセンはユダヤ人、迫害を恐れ当時の中立国、スウェーデンに亡命します。
1945年戦争が終了するとデンマークへ帰国します。
その後1950年頃からは家具のデザインも始め「アントチェア」「スワンチェア」「エッグチェア」「セブンチェア」を発表。1956年には若い時に発表したランドハウスを設計、建立します。
※ランドハウスはデンマーク・シェラン島(Sjællands Odde)にある円形の個人邸宅です。

また、世界一有名なガソリンスタンドといわれている、ヤコブセンが「ベルビュービーチ」リゾート計画で手掛けた建築物の1つ第二次世界大戦直前の1937年に設計した「テキサコのガソリンスタンド」。当初、テキサコ社(Texaco社)と契約して作られたんですが、今はUno-Xという会社のガソリンスタンドとアイスクリーム、コーヒーショップとして現在でも運営されています。
1946年ベルビュー地区にあるスーホルム集合住宅を設計します。
5棟からなるレンガ造りの住宅です。
「スー」はデンマーク語で「湖」、「ホルム」は「小さな町」。「湖のほとりの小さな町」という意味になります。これはヤコブセンが愛していたデンマークの自然から由来しております。
※SØHOLM CAFE(スーホルムカフェ)はここから由来していると思われます。
晩年、彼は1971年に亡くなるまでの20年間、2人目の妻、ヨハナとこの集合住宅で過ごします。
この年、最高傑作と言われるデンマーク国立銀行が着工されます。
ですが、1971年3月24日、自宅にて、心臓発作により69歳で急逝しました。
この一大プロジェクトは3期に分けて工事が進められており、ヤコブセンは第1期工事が完了した直後にこの世を去りました。そのため、建物全体の完成(1978年)を見届けることはできませんでした。
彼の死後、彼が遺した未完の建築計画やデザインは、彼の事務所の主要なスタッフでヤコブセンの意思を継ぎ、建築事務所「ディッシング+ヴァイトリング(Dissing+Weitling)」として完成させていきます。
彼のデザイン哲学はなんだったのでしょうか?
いろいろなサイトを見ましたが特に語っている事も無さそうです。
SASホテル設計の際は建築から家具、照明、小物に至るまでを一貫して手がける「トータルデザイン」をしております、細部に至るまでデザインしたようなので、完璧主義者だったのではないでしょうか?
どこかのサイトに「デザインは単なる形ではなく、使う人々の快適さを考えたものであるべき」と言っていたと記載がありました。細部にまで使う人の事を考え美しさと実用性を兼ね備えたのが彼のデザインだと思います。
営業部/本多