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2025.08.20

柳宗理、使う人を考え、長く使える道具。


我が家では柳宗理(やなぎそうり)の鍋、ケトルを愛用しております。高いモノなので何年か、かけて買い足しております。次はカトラリーやテーブルウェアが欲しいのですが、やはり高い・・・
ただ、鍋を使って思ったのは使いやすさと長もちな所です。例えばケトルは注ぐ角度やフタをとって手をいれて洗う、洗いやすさなど細かい所が使いやすさが表れております。

昔は佐藤商事さんから器物やテーブルウェアの仕入れができましたが、現在、テーブルウェアはミヤマプランニングさんからの仕入れになります。


SORI YAMAGIと商品に記載がるので「やなぎ そうり」が有名ですが、本名は「やなぎ むねみち」と読みます。父は民藝運動(民芸)の創始者、柳宗悦(やなぎ そうえつ)の長男、柳宗悦も本名は「やなぎ むねよし」といいます。ちなみに柳宗理の弟で次男の柳宗玄は美術史家、三男の柳宗民は園芸研究家です。

柳宗理は1935年東京美術大学に入学、バウハウスの水谷武彦の講義でル・コルビュジエを学び、興味を持ちます。1940年同校を卒業、ところが1941年日本は太平洋戦争に入っていきます。柳宗理は陸軍の報道班員として南方戦線の激戦の地、フィリピンへ渡ります。この時、柳宗理はル・コルビュジエの「輝ける都市」をリュックにお詰めて持っていきます。ところが敵に追われる中、身軽になるためこのリュックを砂浜に埋めて逃げます。まるで原田ハマの小説「砂に埋もれたル・コルビュジエ」に出てくるワンシーンのようですね。ちなみに原田ハマの小説「リーチ先生」には若き日の柳宗悦が登場します。

1946年に復員し、終戦後は工業デザインの研究に着手、1950年には柳インダストリアルデザイン研究所を開設、佐藤商事は1955年からテーブルウェア、キッチンウェア、インテリア小物など、生活に身近な家庭用品の企画製造を行います。ここで柳宗理にカトラリーのデザインを依頼し販売を始めます。


柳宗理というと特別なDESIGNをイメージするかと思いますが、実は身近でG型醤油さしやバタフライスツールなど、みなさんが一度は目にしているデザインもあります。

他、駅によくある背もたれサポーターや横浜市江地下鉄のベンチ、野毛のつり橋や標識なども柳宗理のデザインになっています。



営業部/本多