MENU

2025.06.18

時代を超えて今もなお愛され続けている、アラビアの「パラティッシ」。ビルゲル・カイピアイネンについて。


シンプルなフォルムにパンジー、カシス、ぶどう、りんごなどのフルーツや花のモチーフが描かれているARABIA(アラビア)のパラティッシ。フィンランドでは1969年から販売されていて、今なお人気の大ロングセラーアイテムです。ARABIAは現在ではイッタラグループの傘下に入っていますが、元々はスウェーデンのロールストランド(Rörstrand)社がロシア向けの陶器を生産する拠点としてフィンランドに設立した工場が前身となっています。

首都ヘルシンキのアラビア地区に設けられたことが社名の由来となっています。アラビアやロールストランドの関係や歴史はまた別の機会に触れるとして、この人気のパラテッシのデザインをしたビルゲル・カイピアイネン(Birger Kaipiainen)について調べてみました。

ビルゲルはフィンランドを代表するデザイナーで「デコレーターの王」と呼ばれています。デコレーターとはさまざまな分野で使われますが、デザインの世界では「装飾」と言った方が分かりやすいかと思います。


ビルゲル・カイピアイネンは、1915年に7人兄弟の末っ子としてフィンランドのポリで生まれました。

父は鉄道員でビルゲルが産まれた1年後にはヘルシンキのフレドリキンカトゥ(Fredrikinkatu)に引っ越しています。幼い頃、一時期、ロシアの子どもの居ない移民夫婦の元で暮らすことになります。

この妻、ヘレン・バラノフスキーはサンクトペテルブルクで芸術教育を受けていて、彼女の芸術性の高い友人などの交流やロシアキリスト教正統派のカラフルなデザインなどを通して、文化や芸術の感性が磨かれます。この経験が後の彼のデザインに大きく影響与えます。その後ヘルシンキに戻り学校に通いますがサボってばっかりで心配した母親が美術の授業だけ受けれるようにします。

そして1937年22歳の時、アラビア製陶所芸術部門にアーティストとして就職します。彼はポリオ(小児麻痺)を患っており、手などに障害が出ていて轆轤(ろくろ)を使う事ができずその影響でデザインに没頭し、より繊細なデザインになっていったと言われています。

その後、ビルゲルは1954年からの4年間スウェーデンのロールストランドでアーティストとして仕事をします。ロールストランド社時代に国際的に有名になり、1955年、40歳の時、ニューヨークで展示会も行いました。


アラビアは元々ロールストランドの工場だった事もあり、ビルゲルはアラビアの工場に戻ります。

1969年、54歳の時にこのパラティッシ(Paratiisi)を発表。当時主流のデザインというとシンプルで飾らない、北欧モダンテイストが流行していた中で、パラティッシのデザインは装飾が隅々にまで描かれていて異彩を放っていました。

1970年、55歳の時にアピラ(Apila)とスンヌンタイ(Sunnuntai)、数百枚限定生産でプロ・アルテ(PRO ARTE)を次々に発表します。すべては今でもアラビア社の看板シリーズになっています。

実は当時、違う商品名でした。当時はデザイナーが名前を付ける風潮がありましたが、その後、マーケティングや売行きの観点から名前を替えてます。

たとえばパラティッシの食器は元々、Tarha(タルハ)「果樹園」という名をビルゲは付けていました。Paratiisi(パラティッシ)はフィンランド語で「楽園」という意味です。


ビルゲル・カイピアイネンの人物像としてはファンタジーを愛するロマンチスト、情熱的なデザイナーでした。文学とクラッシック音楽、オペラとバレー、上流階級のパーティーをこよなく愛しておりました。

大の親友、マリメッコの創業者アルミ・ラティア(Armi Ratia 1912-1979年)と共にするパーティーは格別だったと言っています。最愛の妻、マギー・パネン(Maggi Helone 1918-1966年)もアルミを介して知り合いましたが、その結婚生活も8年と短いものでした。彼は晩年でも、ほぼ毎日仕事をしておりました。1988年、73歳の7月18日、いつもの通り仕事へ一日行って、仕事を終えてから自宅に帰宅後、静かに息をひきとりました。彼の発表した作品で世に広まったのはそのほとんどが40歳を超えてからの作品でした。

また彼は小児麻痺から生涯杖をつき、片手が不自由で轆轤(ろくろ)が回せませんでした。ですが、陶芸家として世界に名が知れ渡っております。仕事への情熱があれば、障害をも克服できる。という勇気も与えてくれたと思います。


さて、弊社で取り扱っているパラティッシは、カラーとブラックの2カラーを取り扱っております。パープルは在庫をしておりません。

ブルー&イエローのカラータイプが初期のデザインで、1972年にはブラックのパラティッシが誕生します。その後、2012年にフィンランドの百貨店ストックマンの創業150周年記念に、特別カラーとしてパープルが登場し、ラインナップに加わわりました。

人気はパラティッシカラーですが、パラティッシブラックも根強い人気があり、世界中に愛好者がいます。実はこのパラティッシブラック、2005年に廃盤になりましたが、世界中のファンからの声で再販されました。


パラティッシカラーは日本の陶器、陶磁器メーカーもこのデザインをオマージュして似たテイストのアイテムもありますね。ブラックパラティッシも日本ではブラパの愛称で知られています。白と黒のシンプルなデザインは洋食はもちろん、和食、中華、エスニックなど、どの料理でも馴染んでくれます。世界中で愛されるわけです。他の和食器やガラスとの掛け合わせやすいのも魅力です。ぜひテーブルコーディネートを楽しんでください。また、電子レンジ、食洗機、オーブンにも対応しています。

営業部/本多